最もシンプルなノベルゲーム1(分岐小説)『桜の季節、また会えたら』

ノベルゲーム1

シンプルな小説のノベルゲーム(インタラティブフィクション)です。

簡単に言うと選択肢を選ぶことで内容が変わるタイプのマルチエンディングの小説。

選択肢は場面ごとに2つだけ。

ただ読むだけではなく、選択肢があることでより楽しめることを期待しています。
それではチャレンジしてみてください

 

春風が桜の花びらを舞わせる3月末の午後。
私、佐藤美咲(28歳)は新しい職場に向かう電車の中で、ずっと開けずにいた1通のメールを見つめていた。
車窓に映る自分の表情が、心なしか疲れて見える。
大学時代から付き合っていた彼、山田拓也との婚約が突然破棄されてから2年。
その後、仕事に打ち込んで広告代理店で実績を重ねてきた。
しかし、本当にやりたかった「物語を作る仕事」への想いは消えることはなく、ついに憧れの出版社への転職を決意したのだ。
出版社「春風文庫」は、私の大好きな少女小説を多く手がける会社。
学生時代、この出版社の本に何度救われただろう。
その出版社で働けることへの期待と不安で胸が高鳴る中、深い溜め息が漏れた。
スマートフォンの画面に表示されているそのメールの差出人は、拓也の名前だった。
「お元気ですか。
久しぶりに連絡してごめんなさい...」
シンプルな件名に、指が震える。
2年前、彼は「すまない」という言葉だけを残して姿を消した。
後から聞いた話では、アメリカの支社に異動になったという。
それ以来、SNSのアカウントも消え、完全に音信不通となっていた。
開封すれば、きっと今の平穏な日常が揺らぐ。
でも、このまま未読のまま見なかったことにすれば、きっと後悔する。
そんな予感がした。
窓の外では、満開の桜並木が流れるように過ぎていく。
祖母が「人生の転機には必ず桜が咲いている」と言っていたことを思い出す。
後5分で新しい職場に着く。
深く息を吸い込んで、私はメールを開いた。
画面に浮かび上がる文字の一つ一つが、心臓を掴むように痛い。
「突然の連絡ですみません。
実は今、あなたの近くの聖路加国際病院に入院していて...」
その一文に、全身から力が抜けた。
携帯を握る手が震える。
2年前、プロポーズされてから3ヶ月後の雨の日。
突然の婚約破棄を告げられた時の彼の表情が、今でも鮮明に思い出せる。
「理由は言えない。
ごめん」。
それだけを繰り返す彼に、どれだけ問いかけても、真実は見えてこなかった。
その後、彼はシアトル支社への異動を願い出たと、共通の知人から聞いた。
そして私は、彼の存在を心の奥深くに封印したはずだった。
なのに、なぜ今...。
メールには詳しい病院名と部屋番号まで書かれている。
手術は無事に終わったが、しばらくの入院が必要だという。
最後に、「もし良ければ、一度会って話がしたい。
全ての真実を話します」という言葉が添えられていた。
新しい職場まであと3分。
電車は次の駅に近づいている。
病院は、この駅で降りてすぐのところにある。
今なら、寄ることができる。
でも、新しい職場の初日から寄り道するのは...。
出版社の受付に電話をすれば、体調不良で遅れると言うこともできる。
それとも、これは過去に区切りをつけるチャンスなのか。
病院に着くと、心臓が激しく鼓動を打っていた。
消毒液の香りが漂う廊下を進みながら、何度も立ち止まりそうになる。
ナースステーションで案内を受け、エレベーターで7階へ。
「704号室」のプレートを前に、深く息を吸った。
初めて拓也と出会ったのは大学3年生の時。
文学部の図書館で、私が参考文献を探していた時に声をかけてきた彼は、経済学部にいながら小説を読むのが趣味だと話してくれた。
それから自然と親密になり、就職後も週末はよく本屋を巡って、好きな作品について語り合った。
婚約指輪を渡された日も、行きつけの本屋のカフェだった。
ノックの音が、妙に大きく響く。
「どうぞ」
懐かしい声に、胸が締め付けられる。
「よく来てくれたね、美咲」
病室のベッドで微笑む拓也は、前より随分痩せていた。
でも、柔らかな眼差しは昔のままで、その優しさに涙が込み上げてきそうになる。
点滴を受けながらも、姿勢を正して私の方を向く。
「座って」とベッドサイドの椅子を示す彼に従いながら、私は沈黙を破った。
「どうして...突然いなくなったの?」
拓也は深いため息をつき、ゆっくりと話し始めた。
実は重度の心臓病を抱えていて、その頃症状が悪化していたという。
遺伝性の病気で、子供にも高確率で遺伝する可能性があった。
「君に迷惑をかけたくなかった。
子供を持てない可能性が高い僕と結婚しても、きっと後悔する。
そう思って...」
言葉を詰まらせる彼を見て、2年前の別れの真相が少しずつ見えてきた。
「でも、手術が成功して、もう大丈夫なんだ。
アメリカで新しい治療法が確立されて...この2年間、毎日君のことを考えていた。
本当に、ごめん」
窓の外では桜の花びらが舞っている。
病室に差し込む春の陽光が、私たちの間に淡い影を作る。
「もう一度...一からやり直せないかな」
拓也の真摯な眼差しに、2年分の想いが溢れ出す。
彼の選択は間違っていたかもしれない。
でも、その優しさは確かに、私の知っている拓也そのものだった。
【グッドエンド:新たな始まり】

その日から、私たちは少しずつ関係を修復していった。
拓也の退院後、週末には必ず顔を合わせ、お互いの近況を語り合った。
彼は編集長として新しいレーベルの立ち上げに情熱を注ぎ、私も企画部で夢だった本作りに携わった。
時には辛いこともあったけれど、今度は何があっても一緒に乗り越えていくと誓い合った。
半年後、拓也は完治して通院も終了。
初めて出会った図書館で、もう一度プロポーズをしてくれた。
今度は、どんな困難も二人で向き合っていく約束とともに。
職場に向かうことを選んだ私は、その後、仕事に没頭した。
新しいレーベルの企画は順調に進み、若手作家の発掘にも成功。
しかし、夜になるとあのメールのことを考えてしまう。
一週間後、同僚から聞いた話では、拓也は再びアメリカに戻ったという。
病気の治療は無事終わったものの、日本での再起を諦めたのだろうか。
メールの返信は結局できないまま、春が過ぎ、夏が来た。
たまに、編集部に届く海外文学の企画書の中に、彼の名前を見つける。
その度に、あの日の選択が正しかったのか考えてしまう。
でも、これも私たちの物語の一つの終わり方なのかもしれない。
窓の外では、春とは違う風が吹いていた。
【エンド:日常の選択】
「お久しぶりです、山田さん」
私の声に、会議室の空気が一瞬凍りついたように感じた。
就職活動の時、この会社の採用面接で、「あなたの人生を変えた本は何ですか」と聞かれた。
その時、私は迷わず拓也と一緒に見つけた小説の名前を挙げた。
本当は、その本も、本を通じて出会った彼も、私の人生を大きく変えたのだと、言いたかった。
勇気を出して話しかけた私たちは、その日の夜、オフィス近くのカフェで長い時間を過ごした。
病気のこと、アメリカでの生活、そして私たちのことを、静かに、でも包み隠さず話し合った。
しかし、互いの生活は既に異なる方向に進んでいた。
彼はアメリカで新しい可能性を見つけ、私は自分の道を歩き始めている。
昔のような関係には戻れないことを、二人とも悟っていた。
「これからは、良い上司と部下になりましょう」
私の言葉に、彼は優しく微笑んだ。
週明けから、私たちは適度な距離を保ちながら、新しいレーベルの創造に取り組んでいった。
時々、彼の優しい眼差しに胸が痛むこともある。
でも、それは私たちが選んだ、大人としての決断だった。
【エンド:大人の決断】
その場から逃げ出すように席を立った私は、トイレに駆け込んだ。
鏡に映る自分の顔が、ひどく青ざめている。
「いつか、二人で出版社を作ろう」
学生時代、拓也はよくそんなことを言っていた。
私が物語を見つけ、彼が経営を担当する。
その夢は、まるで懐かしい童話のように、遠い記憶となっていた。
結局、その日のうちに退職届を提出した。
夢だった出版社での仕事を諦めることになったが、彼との再会に向き合う勇気が出なかった。
数ヶ月後、私は別の広告代理店に転職した。
時々、本屋で春風文庫の新刊を見かけると、あの時立ち止まっていれば、違う未来があったのかもしれないと考える。
雨の多い季節が過ぎ、また桜の季節が巡ってきた。
電車の窓から見える桜並木に、去年とは違う想いを感じている。
【エンド:逃避の果て】